ソープヒストリア

歴30年越えソーパー、セミリタイア中々

ソープ歴30年以上、Bでございます。だいたいの経歴を

1987年、とあるソープ街で働き始めました。

もう三十年以上前。忘れていそうなのを、何とか思い出してみました。

私、Beansのソープ略歴でございます。

 

最初のお店は「hm」。

28千円、90分の中級店でした。

そして、最初の配属は、当時全盛だった案内所。

ソープのお店が案内所をも経営していた時代です。

案内所のバックも当時は一律2千円でした。

案内所2、お店10、女の子15みたいな割合で

お客様の払った代金は、分けられていたのです。

 

次に働いたのは、

27千円、90分の中級店。「gs」

こちらも、案内所、タクシー、旅館ホテル、リベートありありの

何でもありのお店でした。

最初のお店で一緒に働いていたベテランのfさんが、

この二軒目の店で店長をするというので、ついて行きました。

人間も面白いし、気前も良いし、ボーイさんで働いていても

月40〜50くらいになっていました。

休みは月三日、朝10時頃から夜中、1時過ぎまで働く状態だったので、

お金は貯まりました。

 

三軒目、fさんのところを離れ、「gk」

ちょっと高級店。元々「gs」にいた頃の隣の「rv」のiさんが店長。

お店はiさんと僕と男子二人。

部屋の出前は控え室にいる女子。

女子が出払っていると、エレベータに物を乗せ、部屋にコール入れとくシステム。

 

四軒目、前出「rv」。「ey」の系列になった時点で入店。系列解除でやめる。

2ヶ月くらいだったかな?

 

五軒目、「la」38千円、100分。この頃にはこの位の値段が中級店という感じになってました。意図的、フリカエ店。その殿堂とも言える。お店でした。

フリカエの事は面白いので、後々詳しくテーマにしたいと思います。

 

六軒目、その隣「js」。48千円。その頃のその街の一番高いお店。

店の女の子、お客様と、ゴルフ行ったりしてました。

 

七軒目、「m」ここで働くうち、「e」の店長として誘われて、「e」へ。

 

八軒目、1993年12月。神戸の震災の前の年。その街で働き始めて六年経ってました。

「e」は三年くらい閉まっていて、開けると警察も、不良も、借金取りも来る。

「bちゃんは騙されていて、生贄にされる。」

みたいな事言われてました。が、大丈夫でした。

 

「e」はそれなりに順調で、二年半くらいで、隣の「大使館」もやることに。

 

九軒目、「g」。「t」の店名を「g」に変更。

二軒の部長という事に。

 

色々あって、若くて血気盛んだったので、なんのアテもなく97年、辞める。

何の計算もなかったけど、「e」も「g」もそれなりに入っていたので、

すぐ、声がかかる。

 

十軒目「j」。店長以上、二箇所目だったので、最初から、

かなり自由にやらしてもらいました。

夏に引き継いで、98年の春にはもう二軒目やれ、という話になりました。

この頃は、2ちゃんねる金津園ワールドの全盛期で、

 

十一軒目「b」。今回は「j」の女の子を二軒に分けました。二軒の部長という事に。

そこから、3年くらいして、系列三軒目「w」。

 

十二軒目「w」。可愛い子揃ってました。ここに自分のパソコン部屋ありました。

出勤が当時としては破格に緩めの設定にしてました。

少なめ出勤の子がたくさんいた方が、

お客さんにはウケる。そう信じてました。今もそう信じてます。

 

もう一つ、ポイントは、三軒ともなると、総在籍数は100人越え始めています。

ある事に気づいて、それを実践し始めました。

 

十三軒目「w」。初の画像修正店。

十四軒目「d」。この系列初の高級店。

十五軒目「h」。ショート店。

この系列の六軒の統括という事になりました。

 

そして、あの年。国税局が30人以上で来ました。

僕はグループのトップではないのですが、うちのマンションにも二人来ました。

部屋中、家探しされて、パソコンの中も見られて、シュレッダーのゴミも

お持ち帰りになりました。

 

色々、家庭の事情やら、もあり、一旦、潮時かなと思い、その街を離れました。

20代中頃、この街で働き始めて、25年くらい経っていました。

 

ソープ街というのは、北は北海道、札幌の、すすきの、から。

南は、沖縄まで、プロ野球フランチャイズみたいに、点点とあります。

普通というとオカシナ表現ですが、男子は、神奈川川崎行ったり、東京吉原行ったり、

滋賀雄琴、神戸福原、広島薬研堀、博多中洲。

 

どの街に行っても、すっと働けるし、あっち行ったりこっち行ったり、

いろんな土地で楽しく、人生おくれます。

 

それが私、bの場合は、30代中盤から、50過ぎまで、

たまたま、一軒が六軒まで行ったので、他の土地に行く間がなかったわけです。

で、50過ぎて結構、良い歳だったのですが、ちょっと他の土地のソープもその系列の

kのgのヘルスでも働かせてもらいました。

 

会社が駐車場借りてくれていたので、

k町に車停めさせてもらって、毎日s大橋を渡って、gに通う日々。

あの時のヘルスは楽しい、面白い、経験でした。

 

おいおい、色々書いて行こうと思っています。

お店、上がり部屋でも、お客様のお時間許していただけるなら、

ブログに書けないような話もさせていただけるチャンスが

あるかもしれません。

 

これからもよろしくお願い申し上げます。